数ある還元剤の中でも、ホウ素原子もしくはアルミニウム原子の水素化イオン性無機塩であるアート錯体は、比較的安定な試薬として、カルボニル化合物の代表的還元剤です。
中心元素の種類や置換基の種類、大きさによって反応性が異なり、各カルボニル化合物にあった還元剤の選択が目的の還元反応の成否に直結します。
今回は、アルミニウムを中心元素とする還元剤の中でも、最も代表的でシンプルな水素化アルミニウムリチウムについて取り上げたいと思います。
水素化アルミニウムリチウム(LAH)は13族アルミニウムのアート錯体
水素化アルミニウムリチウム(LiAlH4、あるいはLAH)はアルミニウム原子に水素が4つ結合したマイナス電荷を有するアニオンであり、カウンターカチオンにリチウムイオンを持ちます。
第13族元素であるアルミニウムは価電子数が3であり、他の原子と共有結合を3つ有する状態が中性分子になります。
しかし、3つの共有結合を形成しただけではオクテット則を満たさず、中心元素であるアルミニウムには電子が入っていない「空のp軌道」が存在し、電子を受け入れ易い状態にあります。
そのため、多くの第13族元素化合物は他の分子から電子を受け入れるルイス酸(Lewis acid)の性質を備えています。
水素化アルミニウムリチウムの場合、中性のアラン(alane: AlH3)の「空のp軌道」にヒドリド(H-)を受け入れた状態であり、 分子全体としてマイナス性を帯びています。このような錯体をアート錯体(ate complex)と呼びます。
13族原子の面白いのは、中性分子では「空のp軌道」に電子を受け入れたいルイス酸としての作用を示すのですが、ひとたび電子を受け入れてアート錯体になると、今度は早くマイナス電荷を放出したい状態になります。
ですので、水素が4つ結合したマイナス電荷のアルミニウムは、ヒドリド(H-)を他の分子に与える還元剤として作用するわけです。
前置きが長くなりましたが、LAH還元の反応機構は次のように考えられています。
反応はまず、カウンターカチオンであるリチウムイオンによってカルボニル基が活性化され、カルボニル基のLUMOであるπ*軌道に対して、アルミニウム−水素結合であるσ結合が作用します。
アート錯体のAlH4-からヒドリドがカルボニル基の炭素原子に求核攻撃を起こし、リチウムアルコキシドが生じます。
ヒドリドを放出したアルミニウム試薬はアラン(AlH3)に変換されますが、ルイス酸性を有するアランは先ほど原料から生じたアルコキシドと作用することによって再びアート錯体を形成します。
新たに形成されたアート錯体もマイナス電荷を放出したい欲求に駆られていますので、フラスコ内に残っている他のカルボニル化合物と衝突する際にはヒドリドを提供することができ、カルボニル基を次々に還元することになります。
理論上は1分子のLiAlH4でカルボニル化合物を4回還元できることになるわけです。
小さな還元剤LAHが大きな仕事を成し遂げる
アート錯体型還元剤の中でもLiAlH4は、水素化ホウ素ナトリウム(NaBH4)と同様「小さい還元剤」として認識されています。
環状ケトンであるシクロヘキサノンを還元する際、AlH4-がケトンのLUMOであるπ*軌道と相互作用しますが、この時、AlH4-と原料との1,3-ジアキシアル反発よりもカルボニル基のα位炭素上の水素との1,2-相互作用が大きくなり、カルボニル基のアキシアル方向から還元が進行します(axial attack)。
結果として、アルコールがエクアトリアルに向いたシクロヘキサノールが生成物として得られてきます。
対照的に、水素化トリ(s-ブチル)ホウ素リチウム(L-Selectride)など立体的に大きな還元剤では、1,3-ジアキシアル反発の方が1,2-相互作用よりもシビアになり、結果としてアキシアルアルコールを与えることも押さえておきたいことですね。
還元剤に一般的に言えることですが、カルボニル基のπ*軌道と相互作用するのはヒドリド(H-)単体ではなく、アルミニウム−水素間のσ結合である点は注意が必要です。
ヒドリドは1s軌道にしか電子がなく、軌道が小さいためにカルボニル基のπ*軌道との軌道相互作用が効果的ではないためです。
NaHなどは還元剤にならず、プロトンとは相互作用する塩基として有用です。
水素化アルミニウムリチウムは強力な還元剤で、アルデヒドやケトンはもちろん、エステルやカルボン酸も還元することができ、対応する1級および2級アルコールを与えます。LiAlH4を用いたアミドの還元ではアミンへと誘導でき、水素化ホウ素ナトリウム(NaBH4)よりも高い還元能力を発揮します。
逆に言えばカルボニル化合物をなんでもかんでも還元してしまうので、それぞれの原料にあった還元剤の選択が重要となりますね。
炭素–炭素二重結合と共役しているケトンであるエノンの還元では、LiAlH4は一般に1,2-還元が優先して進行し、アリルアルコールを与えます。
1,4-還元が優先するL-Selectrideなどとは相補的な役割を担っていますね。
まとめ
水素化アルミニウムリチウム(LAH)は多くのカルボニル化合物を還元できる優れた還元剤です。
白色から灰色の固体試薬で、粉が舞いやすく水とも激しく反応しますので気をつけて秤量しましょう。
空のフラスコに先にLiAlH4を秤量し、0 °Cに冷却しながらエーテルやTHFなどの溶媒をいれて、その後反応温度で溶媒に溶かした原料を加えていくのが安全で、個人的にはおすすめです。
反応の後処理は、Wikipediaに載っている方法のなかでは、X gのLiAlH4の使用に対してX mLの水、X mL 15%水酸化ナトリウム水溶液、3X mLの水と加えていく方法を好んで使っています。
水酸化ナトリウムを入れるまでは灰色の懸濁液のことが多いですが、最後の水を入れて回しているとベージュの懸濁液に色が変わり、しばらく室温で回した後に静置して沈殿がフラスコの底にたまるのを待ちました。
セライトでろ過するときは、上澄みの有機層だけ先にろ過して、沈殿はなるべく最後にセライトの上に乗せるようにすると、詰まったセライトと格闘する時間が短くができると思います。
色の変化は試薬のロットによるかもしれませんが・・・。
反応後の後処理
- X gの LAH で還元を行った反応液に、X mLの水、X mLの15%水酸化ナトリウム水溶液、3X mLの水を順次ゆっくりと滴下し、しばらく室温で攪拌する。灰色の沈殿ができたらセライトなどを用いて吸引濾過し、少なくとも50X mL以上の溶媒で洗う。溶媒を留去し、目的物を得る。
- 芒硝(硫酸ナトリウム十水和物)を大量に加え、含まれる水分によってLAHを分解する。酢酸エチルを加えてさらさらになるまで撹拌し、不溶物をセライトなどを用いて濾過、溶媒を留去する。
- ロッシェル塩(酒石酸カリウムナトリウム)飽和水溶液を低温でゆっくりと加え、30分ほど撹拌するとアルミニウム塩が酒石酸とキレート錯体を形成し、溶解する。これを分液処理する。
- 0 ºCに冷却した上で飽和塩化アンモニウム水溶液を加えて反応を停止させる。この灰色のエマルジョンにトリエチルアミン/メタノール/酢酸エチル3:10:87の混液(反応溶媒のTHFに対して2.5倍量)を加え、セライトなどを用いて濾過する。濾液を通常通り分液処理し、目的物を得る。
ちなみにアルミニウム化合物はアメリカ英語ではaluminum、イギリス英語ではaluminiumと表記するようですので、報告書などではアメリカ、イギリスどちらかに統一する方がいいかもしれませんね。
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水素化ホウ素ナトリウムを使ったカルボニルの還元反応は、試薬の安定性と適度な反応性が魅力ですね。
DIBALはアルミニウムのルイス酸性を利用した非常に有用な還元剤です。
水素化トリエチルホウ素リチウムは非常に強力な求核力を有しています。Superですからね。