飽和炭化水素であるアルカンは強いC-C単結合で構成された分子であり、生物界をはじめ、様々な有機分子の土台として利用されています。
近年、C-H結合の直接官能基化が爆発的に発展していますが、それでもやはり化学反応性に乏しく、分子を修飾するのには困難が伴います。
一方でカルボニル化合物は、C=O二重結合の分極のおかげで、カルボニルの酸素原子、炭素原子、および隣の炭素であるα位炭素の化学修飾を容易にしています。
また、カルボニル基と共役したα,β-不飽和カルボニル化合物では、β位選択的な分子変換反応も実現でき、起点分子構造として多くの反応開発で利用されてきました。
今回は、飽和ケトンからα,β-不飽和ケトンであるエノンを合成できるSaegusa-Ito oxidation(三枝・伊藤酸化)について考えたいと思います。
二価パラジウムの酸化力を利用した三枝・伊藤酸化
三枝(さえぐさ)・伊藤酸化は、ケトンから誘導できるシリルエノールエーテルに酢酸パラジウムを作用させることで、エノンを合成する方法です。
反応機構はまず、原料であるシリルエノールエーテルに対して2価の酢酸パラジウムが作用し、配位錯体を形成すると想定されています。
このとき、シリルエノールエーテルの酸素原子から電子供与があるため、O-Si結合が切れやすい状態になっています。
保護基であるトリメチルシリル(TMS)基が、パラジウムから遊離したアセテートによって攻撃され、結果としてパラジウムエノラートを形成します。
生じたパラジウムエノラートには、ケトンのα位炭素にパラジウムが乗った化学種と平衡状態にあると考えられているのですが、ケトンのβ位に水素原子がある場合、2価のパラジウムが水素原子に作用し、ヒドリドとして炭素原子から水素を奪うことによって、生成物であるエノンを与えます。
ちなみに、β-ヒドリド脱離で副生するパラジウム化学種は、アセテートとヒドリドを持った2価のパラジウムですが、酢酸を放出するように還元的脱離が進行して0価のパラジウムに変わっていきます。
原料のシリルエノールエーテルは、TMS基が置換したものが圧倒的に多く使われます。
立体的により大きなトリエチルシリル(TES)や tert-ブチルジメチルシリル(TBS)では、アセテートによる求核攻撃を受けづらいせいか、反応がすごく遅い、あるいは全く進まない場合もありますね。
0価のパラジウムを再酸化して触媒的な三枝・伊藤酸化を実現
上の反応機構でも取り上げたように、三枝・伊藤酸化の進行には2価パラジウムが必要です。
しかし、お高いパラジウムを当量必要となってしまうことが多く、このままではなかなか使い勝手が悪いものでした。
この問題を解決するには、0価になったパラジウムを2価に戻してやればいいわけですが、辻先生らはアリルカルボネートを0価パラジウムの再酸化剤として用いることで、パラジウムの使用を触媒量まで落とすことに成功しました。
またLarockらは、アセトニトリルの代わりにDMSOを溶媒に用いることで、酸素ガスを再酸化剤とする触媒的三枝・伊藤酸化に成功しています。
ただし、反応の種類によっては0価のパラジウムが析出して反応系外に落ちてしまうことも多く、これら触媒的な方法がうまくいかない場合も多い印象をとらおは持っています。
化学量論量の2価パラジウムを使った三枝・伊藤酸化は、本当に信頼性の高いエノン合成法です。
原料の貴重さとパラジウムの値段を考えて、触媒反応・当量反応、どちらで酸化に臨むのか決めたいところですね。
まとめ
三枝・伊藤法は、2価パラジウムを利用したシリルエノールエーテルからα,β-不飽和ケトンを合成する定番反応です。
パラジウムは、0価と2価の酸化度が安定な遷移金属であり、酸化されたり還元されたりしやすい性質のため、多くのクロスカップリング反応でも利用されてきました。
4価の酸化度を有するパラジウムも報告されていますが、基本的には2つの電子をもらったりあげたりしながら、0価と2価の間を行ったり来たりしています。
1個ずつの電子のやり取りも行えるニッケルは、0価、1価、2価、3価と、より多くの酸化状態を取りやすく、近年様々な反応に利用されていますね。
パラジウムとニッケル、周期表の上下関係にある元素で似たところと違うところがありますが、それぞれ固有の魅力を発揮しつづけています。
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