数ある転位反応の中でも炭素−炭素結合の組み替えを含む有機反応は、付加反応や遷移金属を用いたクロスカップリングなどの直接的な結合形成では成し得ない分子骨格の構築に成功することがあります。
特に、ステロイドの生合成経路にも見られるように、カルボカチオンを経由する炭素原子団の1,2-転位は、単純な鎖状分子を原料にしながらも、空間的広がりの多様性を実現した三次元天然有機分子の創生において、重要な役割を果たしていると考えられます。
今回は、1,2-転位反応の代表選手であるWagner-Meerwein転位について考えていきたいと思います。
Wagner-Meerwein転位は100年以上の歴史を有する分子骨格変換反応
1899年Wagnerらは、テルペンの一つであるα-pineneに対して塩酸を作用させると、別のテルペノイド化合物であるbornyl chlorideが得られることを見出しました。
当初、この報告は他の科学者にはあまり受け入れられなかったようですが、後の1922年に、Meerweinらによって別のテルペンであるcampheneに対する塩酸処理でも、先ほどのWagner生成物の異性体であるisobornyl chlorideが得られることが報告されました。
Meerweinらは、カルボカチオンを含む官能基の1,2-転位を提唱し、現在ではWagner-Merrwein転位と呼ばれるようになったようです。
Wagner-Meerwein転位の出発原料には、アルコールやその誘導体、オレフィン、ハロゲン化合物が用いられます。
それぞれの原料に合わせて、ブレンステッド酸やルイス酸、銀イオンなどが活性化剤として使用され、カルボカチオンの発生、もしくは完全にカチオンを生成していなくても部分的に脱離基が乖離し、炭素上が電子不足(δ+)の状態になります。
このカチオンに対して、α位炭素上に存在するアリール基やビニル基、アルキル基、もしくは水素原子がσ結合の移動とともに原子団ごと移動してきます。
原子団がまるごと移動することにより、もともとカチオンが発生した炭素の隣の炭素上にカルボカチオンが移動します。
この2つ目のカチオンに対して求核剤が付加したり、プロトンの脱離を伴う二重結合の形成により、反応が完結します。
より安定なカルボカチオンを求めて
本反応の駆動力は、より安定なカルボカチオンの生成です。
例えば、非常に嵩高いネオペンチル基を有するネオペンチルヨージド(neopentyl iodide)を水とともに硝酸銀で処理すると、メチル基の転位を伴った3級アルコールが得られます。
この反応系では、1級のヨウ素−炭素結合が銀塩により活性化され、部分的に結合が切れ1級炭素原子がプラスの電荷を帯びた状態になります。
1級カルボカチオンは超共役による安定化効果が少なく、不安定なカルボカチオンなのですが、これを解消するために隣のt-Bu基からメチル基が一つσ結合ごと移動し、結果的に3級カチオン中間体を生じます。
より安定な3級カルボカチオンは1級のカルボカチオンより寿命が永く、反応系内で最も強い求核剤である水分子を捕捉し、3級アルコールを生成します。
Wagner-Meerwein転位の面白いところは、必ずしもカチオンの安定性だけで転位の方向性が決まるわけではない点です。
例えば、Wagnerらが最初に報告したα-pineneからbornyl chlorideへの転位反応では、最初に形成するのは3級カチオンであり、最終的に塩化物イオンを捕捉するのは2級のカルボカチオンになります。
より不安定と思われる2級カチオンへと反応が流れていることになります。
これは、転位前の分子骨格には歪みを有する4員環炭素骨格であるシクロブタン構造が含まれているのですが、転位反応を起こすことによって、環構造としてより安定な5員環構造へと変化しています。
つまり、カチオンとしては不安定化していても、反応系全体としてより安定なものへと分子骨格を押し向けることができるため、環歪みや立体反発の解消などを駆動力とするWagner-Meerwein転位への発展を可能にしています。
近眼な視点だけでは語れない有機化学の奥深さが垣間見れますね。
まとめ
Wagner-Meerwein転位は可逆的な反応過程を経ながらも、最終的に居心地のよいカルボカチオンの形成を目指した官能基の1,2-転位反応です。
pinacol転位やsemipinacol転位、Tiffeneau-Demjanov転位をサブグループに従える、大きな枠組の転位反応と言えます。
他の炭素官能基転位反応と同じように、より電子供与性のものが転位する官能基として優先されるようですが、カルボカチオン中間体の環境や分子構造に大きく依存するため、合成戦略設計者の腕が試される反応でもありますね。
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