天然からは、長い炭素鎖上に一つ置きに2級水酸基が多数置換した天然物が単離されることがあります。
ポリケチドと呼ばれるこれらの有機分子は、その生合成においてアセチルCoAという生合成単位が、次々と連結反応を起こして形成されています。
連結直後はケトンになることが多いのですが、還元酵素によってケトンが2級アルコールに変換されることがよくあります。
そのため、生理活性を示すポリケチドなどの天然物では、1,3-ジオール構造が非常に重要になってきます。
有機合成の大きな役割の一つに、医薬品など人類にとって有用な分子を世の中に供給することが挙げられます。
仮に、ポリケチドのように1,3-ジオール構造が分子の有用性を発揮するのに非常に重要な場合、立体選択的1,3-ジオールの構築は、化学者に課せられた大きな課題です。
本日取り上げる反応は、分子内にすでに存在する立体化学を利用して、1,3-ジオール構造をスマートに合成できるEvans-Tishchenko反応(エバンス-ティシュチェンコ反応)です。
ルイス酸が可能にする立体選択的分子内ヒドリド移動
Tishchenko反応は、2分子のアルデヒドから1分子のエステルを合成できるアルデヒドの不均化反応です。
ルイス酸や塩基によって促進されるこの反応のなかには、aldol-Tishchenko反応と呼ばれる連続的な分子変換が知られています。
これは、アルデヒドのアルドール反応で得られるβ-ヒドロキシアルデヒドと、もう1分子のアルデヒドからTishchenko反応が進行し、1,3-ジオールモノエステルを与えるものでした。
上記の反応を応用することによってDavid A. Evans教授らは、β位水酸基の立体化学を利用したβ-ヒドロキシケトンのアンチ選択的還元反応に成功しました。
反応では、原料であるβ-ヒドロキシケトンに対して触媒量の二価のヨウ化サマリウム(SmI2)と過剰量のアルデヒドを作用させます。
すると、まず一電子還元剤であるSmI2とアルデヒドが反応し、ピナコールカップリングを起こすことによって、1,2-ジオールを配位子にもつ三価のサマリウムが生成します。
この三価のサマリウムが本反応の活性種だと考えられており、β-ヒドロキシケトンとアルデヒドのTishchenko反応を促進します。
触媒の作用により原料の水酸基がアルデヒドに対して付加反応を起こし、テトラヘドラス中間体を形成し、この中間体から分子内にあるケトンに対してヒドリド移動を起こして、生成物である1,3-ジオールモノエステルを与えます。
この際、6員環遷移状態を経てヒドリド転位が進行するのですが、ルイス酸である活性種サマリウムの作用により、カルボニル基が遷移状態の6員環に対してアキシャル配座になるように活性化され、結果として1,3-アンチのジオール誘導体がジアステレオ選択的に得られてきます。
ジアステレオ選択的1,3-アンチジオール形成だが、レトロアルドール反応に注意
Evans-Tishchenko反応は、カルボニルのα位炭素の立体化学に影響されることなく、1,3-アンチジオールを与えると報告されています。
しかしながら別の報告では、基質によっては立体混合物を与える場合も多いと指摘されています。
これは、原料のβ-ヒドロキシケトンが逆アルドール反応(レトロアルドール反応)を起こしやすい場合は、アルデヒドとケトンに分解後、通常のアルドール反応によってβ-ヒドロキシケトンがα位炭素の立体化学の混合物に異性化してしまうからです。
エピ化してしまった原料からTishchenko反応が進行する場合も、1,3-アンチ還元が優先するようですが、α位炭素の立体化学は必ずしも予測できるものではないので、注意が必要です。
特に、既存の2級アルコールとα炭素置換基がアンチの立体化学のものの方が早くTishchenko反応を起こすため、逆の立体を原料とする場合は生成物の立体化学を精査した方が良さそうですね。
保護された1,3-ジオールの簡便合成として非常に有用
Evans-Tishchenko反応では、β-ヒドロキシケトンから1,3-アンチジオールモノエステルが立体選択的に得られてきます。
β位の立体化学を利用したβ-ヒドロキシケトンの還元では、トリアセトキシ水素化ホウ素試薬を利用したEvans還元(こちらもD. A. Evans教授の功績)のアンチ還元、ビス水素化ホウ素亜鉛[Zn(BH4)2]を利用したシン還元が知られています。
これらの方法に比べてEvans-Tishchenko反応では、生成物のジオールの片方がエステルとして保護された状態で得られるため、緻密な合成戦略の設定によって実験工程数とともに総収率を向上させられる可能性が高まります。
戦略家としての腕の見せ所ですね。
まとめ
Evans-Tishchenko反応では、触媒量のヨウ化サマリウムを用いることによって、β-ヒドロキシケトンとアルデヒドから1,3-アンチジオールモノエステルが合成可能です。
ヒドリド源およびエステル化剤として働くアルデヒドが貴重な場合は、ダミーのアルデヒドをヨウ化サマリウムの活性化に用いることもでき、大事なアルデヒドを確保しつつより強い活性種を生成させることもできるようです。
何気ないところにも工夫を凝らせる賢いヒト、素敵ですな。
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オリジナルのTishchenko反応に関する記事です。単純なようで奥が深い反応ですね。
こちらはTishchenko反応の兄弟分のCannizzaro反応です。
サマリウム活性種はピナコールカップリングで得られますが、1,2-ジオールを利用したピナコール転位のご紹介です。