芳香族化合物は、医薬品や有機EL、化学工業製品など、多様な機能分子に含まれており、私たちの生活になくてはならない存在になっています。
特に炭素のみで構成され、最も基本的な芳香族化合物であるベンゼン環は、構造解明に至る歴史物語や構造的な美しさから、多くの化学者を魅了してきました。
本日取り上げるBirch還元(バーチ還元)は、他の方法とは違ったベンゼン環変換反応を実現できる貴重な反応です。
溶媒和電子のチカラで脱芳香族化させるバーチ還元
1944年に報告されたBirch還元は、ベンゼン環に対して液体アンモニア中で金属ナトリウムを作用させると1,4-シクロヘキサジエンに誘導できる反応です。
この反応を可能にするのは、液体アンモニアによって溶媒和された電子(e-)の働きによるものです。
通常、芳香族はπ電子の非局在化によって大きく安定化しており、特別に強い条件でなければ水素添加などの還元反応を受けづらくなっています。
一方で溶媒和電子による還元は、通常の試薬とは異なりシクロヘキサジエンへの還元を可能にします。
興味深いことに、生成物であるシクロヘキサジエンから過剰還元されることは稀であり、水素添加反応による還元では実現できない反応を可能にします。
バーチ還元での二重結合の位置選択性は置換基が決め手
特に一置換ベンゼンの場合、置換基の性質によって生成物における2つの二重結合の位置が決まる特徴があります。
エステルなどの電子吸引性置換基(-resonance effect: -R効果、もしくは -mesomeric effect: -M効果の置換基)を含む一置換ベンゼンは、置換基の根元がsp3炭素になるように1,4-シクロヘキサジエンを与えます。
逆に、メチルエーテルなど共鳴効果によって電子を芳香環に押し出せる電子供与基(+R効果、もしくは+M効果の置換基)では、置換基部分が二重結合に含まれるように1,4-シクロヘキサジエンを形成します。
この二重結合の位置選択性は、中間体であるラジカルアニオンの安定性に由来すると理解できます。
電子吸引性置換の場合は、共鳴効果によって根元の負電荷を安定化できるため、アニオンが根元に来る中間体が安定構造になり、2回のプロトン化を経て生成物を与えます。
一方、電子供与基が結合している場合は+R効果によって根元のプラス電荷が安定されますので、逆にいえばマイナスの電荷を不安定化します。
この場合、「二重結合は多置換オレフィンほど安定」という効果が優先され、電子供与性置換基を二重結合に含む中間体構造が最も安定であると考えられ、対応する1,4-シクロヘキサジエンを生成するわけです。
ところで、なぜ共役が伸びている1,3-ジエンではなく1,4-ジエンが優先して得られるのでしょうか?
単純に、共有結合でないアニオンとラジカルが隣り合う状態が不安定であるためとも説明できるようですが、次のような解説もあります。
ラジカルアニオンの三つの極限構造を書いたときに、炭素-炭素結合の結合次数平均を考えます。この平均値と対応する1,3-ジエンと1,4-ジエンの結合次数との差が1,3-ジエンの場合は2であるのに対して、1,4-ジエンとの差が4/3と小さいため、より1,4-ジエン中間体の寄与が大きい、らしいです。
まぁ、二重結合が対面にできると覚えてしまったほうが早いですね。
さらに細かい話として、アニソールのBirch還元ではどこが最初のプロトン化を受けるか?というのが議論されていたようです。
中間体のラジカルアニオンは共鳴により、どこの位置にもアニオンが局在しうるのですが、1,4-シクロヘキサジエンを与えるのに、メトキシ基のオルト位でプロトン化されるのか、メタ位でプロトン化されるのか問題となっていました。
この議論は重水素化された試薬を使う同位体実験と計算化学によって、オルト位で律速段階である一回目のプロトン化が進行すると結論付けられたようです。
反応機構一つをとっても、奥が深い世界ですね。
Birch還元を用いた重要な官能基変換には、ベンジル系保護基の除去やアリルエーテルの開裂、アセチレンのオレフィンへの部分還元が挙げられますが、そのあたりはまたの機会に。
まとめ
芳香族の中でも特にベンゼン環を実用的なシクロヘキサン誘導体に変換できる反応はそれほど多くなく、Birch還元は大変貴重な有機反応のひとつです。
溶媒和電子による特徴的な反応が、遷移金属を使った化学とは一味違う仕事をしてくれます。
近年、アレノフィル(arenophile)を利用した脱芳香族反応が開発され始めていますが、本反応の有用性を忘れずに是非活用していきたいですね。
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唯一無二の反応を可能にするという点で、ボラン還元も見逃せません。
Barton-McCombie還元も一電子還元の一つです。非常に使い勝手がいいですね。
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