カルボニル化合物のひとつであるケトンは、多くの機能性有機分子にみられる基礎的な官能基です。
Swern酸化やDess-Martin酸化などにより、2級アルコールから比較的簡単に合成することができますね。
通常のアルコール酸化剤ではそれ以上酸化されないため、最終酸化生成物としてケトンを得ることが多いと思いますが、実はケトンはさらに酸化することが可能です。
本日は、ケトンの酸化に多用されるBayer-Villiger oxidation(バイヤー・ビリガー酸化)について考えていきましょう。
バイヤー・ビリガー酸化は過酸化物が炭素-炭素結合を切り開くエステル合成法
普通、酸化反応といえば原料から水素分子を取り除く変換反応になるわけですが、炭素-炭素結合を酸化することによって、ケトンをもう一段階酸化することができます。
得られる化合物は、カルボニル基に置換した炭素-炭素結合が炭素-酸素結合に置き換わるため、エステルとなります。
さらに欲張ってエステルを酸化すれば、炭酸エステル(carbonate ester)にもなるわけです。
炭素-炭素結合は強い結合に分類でき、なかなか切るのが難しいのですが、不安定な酸素-酸素結合をもった過酸化物をケトンに作用させることによって、炭素-炭素結合の切断を可能にしています。
Baeyer-Villiger酸化で用いられる試薬として、過酢酸、過トリフルオロ酢酸、メタクロロ過安息香酸(m-CPBA)、過酸化水素水などがありますが、程よい活性と取り扱いの容易さからm-CPBAを用いることが多いですね。
ケトンに対してm-CPBAを作用させると、まずケトンのカルボニル基がプロトン化され、活性化させれます。
求電子性が向上したカルボニル基に対して、プロトンを放出したm-CPBAが付加反応を起こしてテトラヘドラル中間体を与えます。
中間体のヘミアセタール構造から電子が戻ってくる際、m-CPBA由来の弱い酸素-酸素結合を切るように片方の炭素置換基が転位反応を起こせば、メタクロロ安息香酸(m-CBA)の放出とともに、生成物であるエステルを与えます。
環状のケトンに対してBaeyer-Villiger酸化を行えば、環状のエステルであるラクトンが得られますね。
一般的にカルボニルの炭素置換基は電子豊富なものの方が転位しやすく、3級アルキル>2級アルキル>芳香環(ビニル)>1級アルキル>メチルの順番で、だんだん転位能が下がっていきます。
ただし、切断されるm-CPBAの酸素-酸素結合のσ*軌道に、転移する炭素-炭素σ軌道が相互作用する必要があるため、立体的な要因で必ずしもこの順番にならない点は注意が必要です。
Baeyer-Villiger酸化に用いる試薬の中では、一般的に酸性度が上がるにつれて反応性も上がっていきます。
過トリフルオロ酢酸>モノペルオキシフタル酸>m-CPBA>過酢酸>過酸化水素水>tert-ブチルヒドロペルオキシド(TBHP)
触媒量の強い酸を加えることでも反応が促進されますので、まずはm-CPBAを試すのがオススメですね。
バイヤー・ビリガー酸化で転位する炭素官能基の立体化学は保持される
多くの転位反応に言えますが、Baeyer-Villiger酸化で転位する炭素官能基は立体保持で反応が進行します。
これは、テトラヘドラル中間体から炭素置換基が酸素-酸素σ*軌道に相互作用する際、転位する炭素がσ結合ごと酸素原子に移動することによるものです。
転位する炭素上のsp3混成が崩れることなく転移する、と考えることもできますね。
この立体保持の特徴は合成戦略において、非常に強力なものとなります。
たとえば、3級アルコールの立体選択的な合成は、それほど簡単ではありません。
仮にエノラート化学によって対応するケトンのα位に望みの立体化学が導入できれば、Baeyer-Villiger酸化をあとで行うことにより、エステルを3級アルコール誘導体として得ることができますね。
また、加水分解を受けやすいエステル構造の代わりに、ケトンあるいは2級アルコールとして安全に合成を進め、最後にエステル化するなど応用例はたくさんあります。
過酸化物の取り扱いは安全第一で
Baeyer-Villiger酸化で用いる過酸化物の取り扱いには細心の注意が必要です。
含水m-CPBAなどは比較的安全な試薬ですが、過酢酸や過トリフルオロ酢酸は爆発する危険性が非常に高く、使わないほうが身のためです。
より安全に反応を行うために、無水酢酸や無水トリフルオロ酢酸を過酸化水素水・尿素錯体と合わせて、必要量だけ反応系内で調製するのがオススメです。
確かに純粋な過酢酸などよりもBaeyer-Villiger反応が遅いかもしれませんが、爆発で指や体の一部を失うほどの価値はその実験にありませんので、くれぐれも用心してくださいね。
まとめ
Baeyer-Villiger反応は、一見これ以上酸化できないように見えるケトンを酸化できる分子変換反応です。
特に環状ケトンから得られるラクトンは、加水分解や還元反応などによって鎖状炭素骨格の部分構造として非常に有用です。
環状化合物は分子の柔軟性が抑えられており、コンホメーション予測や立体化学の導入が、鎖状化合物に比べて容易と言えます。
環状炭素骨格を紐解くBaeyer-Villiger酸化を利用し、無駄なく分子を築き上げたいものですね。
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カルボン酸とアルコールからエステルをつくる時は椎名法が優れています。現在最高のラクトン合成法ですね。
Baeyer-Villiger酸化の原料であるケトンは2級アルコールから酸化して合成できます。
不安定な酸素-酸素結合を駆動力とした分子変換の代表例としてオゾン酸化は外せません。