カチオン反応やアニオン反応などのイオン反応は、多くの有機反応の中に組み込まれており、多くの化学反応を実現しています。
一方で、不対電子を有する化学種であるラジカルは電気的に中性の場合が多く、イオン反応とは異なる様式の化学変換を達成してきました。
従来、反応性の高さからコントロールが難しいと言われていたラジカル反応ですが、多くの化学者の努力によって、近年急速に発展してきました。
この記事では、ラジカル化学発展の立役者の一人であるAIBN系のラジカル開始剤を紹介したいと思います。
AIBNのラジカル発生機構
ラジカル開始剤としていくつかの化学種が知られていますが、オーソドックスなものの一つがアゾ系ラジカル開始剤です。中でも代表的なものはAIBN(azobisisobutyronitrile)です。
私は知りませんでしたが、アセトン、ヒドラジン、シアン化水素から誘導されるヒドラジドを酸化することにより、アゾ化合物を合成しているようですね。
このAIBNを光照射や加熱処理すると、非常に良い脱離基である窒素分子が、ガスとして放出されるのを駆動力にしながら、2つの炭素−窒素結合のラジカル的な均一開裂が起こります。
生じるラジカルは、反応性が高い炭素ラジカルの中では比較的安定な第3級炭素ラジカルになるように設計されています。
また、隣接するニトリル基(シアノ基)による安定化効果も加わって、100℃付近のマイルドな温度域で、中性ノンラジカルのAIBNから効果的に炭素ラジカル2分子を発生させることができます。
置換基の種類によりAIBN系開始剤の活性化温度をコントロール
AIBN系ラジカル開始剤の優れた点は、アゾ化合物に置換する官能基を様々変えることによって、ラジカルの発生温度や親水・疎水性などの試薬の性質を制御できるところです。
よく使われるAIBNの10時間半減期温度は65 °Cです。
これはすなわち、65 °Cで加熱した場合に、試薬の総量の半分は分解して、半分はAIBNのまま残っている、という状態になります。
ラジカル反応では、原料・生成物の安定性や活性化エネルギーに合わせて適切な温度帯で反応を行うのが重要です。
V-70など室温付近(〜30 °C)でもラジカル開始剤として利用できる試薬を使えば、基質の安定性が悪かったり、化学選択的なラジカル反応を進行させたい場合などに有用ですね。
一方で、望みのラジカル反応が進行する温度が高温の場合、半減期温度が低すぎる開始剤では、試薬の消費が早すぎて、反応全体をうまく完結することができません。
そんな時は、V-40やVAm-110など高温対応の開始剤が、適切なラジカル開始剤として活躍できるわけです。
ラジカル反応の面白いところは、水中でも反応が進行するところです。
通常のイオン反応では、カチオンは水による溶媒和が進行、アニオンは水分子によってプロトン化されることが多く、活性の高い状態を保つことができないことが多いです。
興味深いことに多くのラジカル反応は、水によって反応停止(クエンチ)されることなく、様々な分子変換を可能にします。
これは、仮に炭素ラジカルなどが水と反応するとなると、水分子から水素原子を奪うことが考えられるのですが、その後に生じるヒドロキシルラジカル(·OH)が高エネルギー化学種であり、非常に生成しづらい特徴があります。
そのため、炭素ラジカルや他のラジカルのままの方が安定な場合が多く、水とは不干渉なわけです。
上図のように、水に溶けるように工夫された官能基をもつアゾ系ラジカル開始剤も豊富にラインナップされており、高分子合成をはじめとするラジカル反応の活躍の場を大きく広げています。
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まとめ
AIBNに代表されるアゾ系ラジカル開始剤は、基本的に中性の化合物でありトリエチルボランやジエチル亜鉛よりもマイルドな反応条件を提供しうる優れた試薬です。
適度な温度制御で多様なラジカル反応の起爆剤となるアゾ系ラジカル開始剤の活躍は、これからも多くの需要があるところでしょう。
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最も有名なラジカル反応の一つ、Barton-McCombie脱酸素化に関する記事です。
アゾつながりで、こちらはアゾカップリングを紹介しましたね。
Birch還元はラジカルを経由する還元反応の代表例ですね。他の反応では達成し難い分子変換が魅力です。