炭素原子を中心とした有機化学では、脱離反応の進行とともに炭素−炭素二重結合であるオレフィンが生成することがよくあります。
β脱離と呼ばれる反応では、脱離基が付いた炭素の隣の炭素上(β位)にある水素原子がプロトンとして原料から脱離基とともに奪われるのが一般的です。
生成物であるオレフィンに目を向けると、化学的安定性の面から言えば、炭素−炭素二重結合上になるべく多くの置換基が存在している方が有利です。
そのため、β脱離における多置換オレフィン生成の優先性がZaitsev則(Sayzeff、あるいはSayzev)として知られています。
一方で、β脱離を起こす脱離基の性質によっては少置換オレフィンが主生成物として得られる場合も多く、こちらはHofmann則に従う、と教えられると思います。
今回は、少置換オレフィンを主に与えるβ脱離であるHofmann脱離(ホフマン脱離)について考えていきましょう。
ホフマン脱離は少置換オレフィンを優先する脱離反応
Hofmann脱離は、1級、2級、あるいは3級アミンに対して過剰量のヨードメタン処理(exhaustive methylation)により4級アンモニウム塩を生成させるところから始まります。
生成物である4級アンモニウム塩のカウンターアニオンは、ヨウ化物イオンである場合が多いのですが、次の工程でこれを水酸化物イオンに交換します。
つまり、4級アンモニウムヨージドに対して酸化銀(I)(Ag2O)を水存在下で作用させて、イオン交換を行います。
ハロゲン化物イオンと銀カチオンは非常に親和性が高く、また多くの溶媒で固体として析出するため、効率的にヨウ化物イオン(I-)を反応系内から除去できるわけです。
こうして得られる4級アンモニウムヒドロキシドを加熱することにより、水の副生を伴いながらβ脱離が進行して、炭素−炭素二重結合を持った生成物であるオレフィンを生じます。
本反応の場合、少置換オレフィン生成物が優先して得られるため、多置換オレフィンが優先するZaitsev則の対義語としてHofmannの名前が使われているようです。
ホフマン脱離では速度論的支配により少置換オレフィンの生成が有利
さて、なぜ上記のプロセスでは化学的に不安定な少置換オレフィンが優先して生じるのでしょうか?
色々なケースが考えられますが、どうやら脱離部分である4級アンモニウム塩(ほとんどの場合の脱離基はトリメチルアミン)の立体的な大きさに秘密があるようです。
多くの化合物においてβ脱離は、脱離基とβ位炭素上の水素が180°反対側に位置するアンチペリプラナー(anti-periplanar)配座からの進行が最も有利であると言えます。
トリメチルアミンを脱離基とする4級アンモニウム塩からのβ脱離においても、このアンチペリプラナー配座からの脱離が優先するのですが、ハロゲンやアルコール誘導体など他の脱離基とは様子が異なります。
4級アンモニウム塩からのβ脱離では、炭素との結合長が短い窒素原子が脱離基の中心にあることと、脱離する窒素原子にアルキル基が3つも置換していることが相まって、トリメチルアミンは脱離基としてとても立体障害が大きい部類になります。
Zaitsev則に従う多置換オレフィンを与える遷移状態と、Hofmann則に従う少置換オレフィンを与える遷移状態において、この立体障害の大きさが効いてきます。
E2機構によれば、水酸化物イオンがβ位炭素上の水素を脱プロトン化するのと協奏的に脱離が進行するのですが、水酸化物イオンがプロトンを引き抜く際、嵩高いトリメチルアミノ基と他の置換基との立体反発が大きいため、Zaitsev型のオレフィンを与えるアンチペリプラナー配座の遷移状態が不安定になります。
一方、置換機の少ない二重結合生成物を与える遷移状態では、アンチペリプラナー配座での立体反発がより少なくなり、こちらの遷移状態のエネルギーが相対的に低く速度論的に有利になり、優先してE2脱離が進行します。
他の有力な説明として、Hofmann脱離においてトリメチルアミンがあまりいい脱離基ではないことから、β位炭素の脱プロトン化が先に進行するE1cB機構で脱離反応が進行する、というものがあります。
この場合、カルボアニオンが先んじて発生する必要があるのですが、より置換機の少ない炭素上のアニオンの方が多置換カルボアニオンよりも安定です。
また塩基がプロトンへ接近する際も、立体障害の少ない少置換炭素の方がアクセスしやすいため、結果的に少置換オレフィン生成物を与えると説明できます。
いずれにしても、立体的に大きく脱離能の低い脱離基の場合は、Hofmann則に従う可能性を考慮しておく必要がありそうですね。
まとめ
4級アンモニウムを経由するHofmann脱離は、かつては未知のアルカロイドの構造解析にて活躍し、現在でもEschenmoserメチレン化などの有機反応と組み合わせて利用されています。
アンチペリプラナー配座から進行するE2もしくはE1cB機構での脱離が特徴的な、歴史的反応のひとつです。
歴史を振り返れば、やはり多くの学びがありますね。
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